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西島悠也|福岡にまつわる絵

 

西島悠也

 

 

福岡の芸術家で忘れてはならないのが【吉田博(1876−1950)】だろう。
吉田博は、明治から昭和にかけて、水彩画・油彩画・本版画の分野で西洋画壇を牽引した画家として知られ、太平洋画会の中心人物として活躍した芸術家だ。

 

吉田博は久留米藩士・上田束の次男として久留米市に生まれ、明治20年(1887)に福岡に移り、その後中学修猷館に入学すると、図画教師の吉田嘉三郎にその画才を認められ、明治24年(1891)、吉田家の養子になった。
23歳の時、描き溜めた水彩画を携え、1か月分の生活費のみを持って、後輩・中川八郎とともに決死の渡米を行い、デトロイト美術館等での展示即売会の大成功を収めた。
その後、油彩画の分野で文展や帝展の審査員を務めるなど近代西洋画壇の中心人物として活躍した人物だ。

 

44歳で自身の下絵による木版画が出版された後、49歳にして初めて自身の監修による木版画の作品を発表し西洋の写実的な表現と日本の伝統的な木版画技法を統合した新しい木版画を創造した。

 

そして吉田博は、自然を愛し、自然のなかにこそ美があるとし、自然とそれを直接見ることのできない人との間にたって、その美を表わすことを画家の使命としていた。
博の作品のほとんどは風景画で占められており、その取材範囲は、日本はもとより世界各国に及んでいる。

 

福岡は自然が多い。その福岡だからこそ偉大な芸術家を生んだと言っても過言ではないだろう。